死んじまつた悲しみに―さくらももこに捧ぐ―
人の生死だけがニュースになる。
死生観というものがいかに単純で、いかに重要かを思い知らされる出来事が多々、起こる。
今年は地震やら大雨やら酷暑やらで、脳みそがとろけきったところで大きなダメージを感じることが多い。
そんな中でも、訃報がニュースを占める割合が増えているように思うのは、自分にとって大事な者が次々にいなくなっているからだ。
そう、もう10年くらいそんな想いにやられ続けているかもしれない。橋本真也に始まり、アベフトシ、三沢光晴、マイケルジャクソン、レイハラカミ、吉村秀樹、プリンス、そして最近では、アレサ・フランクリンもそう。俺が感化されて来た人々がいなくなりすぎて、その度に自分のスピリチュアルな部分、QOLが揺さぶられている。
出会いあれば別れありというが、直接会って話をしたこともない人々だ。自分にとってある意味神格化してしまうことは、不可避だ。
そんな中でも悲しみにくれたのが、つい先日の話。
さくらももこ死去のニュースの際、俺は田舎に逃げていた。平日の月曜のことだった。
ここ最近は、仕事に行きたくないと思うことが多い。俺は、仕事が長続きしない。単に飽き性だとか、辛さに対する耐性が低いとも言えてしまうとは、確かに思っている。1年半以上続いた仕事なんて、いままで1つしかない。やめることを前提に働いていたから、あのときは本当に開放されたと感じたし、あのままあの土地にいれば多分、腐りきって理解されずに死んで行った気がする。もしかしたら、北の端の田舎に逃げていたかもしれない。
どうにも「逃げ場」がある状況がないと心が死んでしまう。自由に逃げ惑う時間がないと、気持ちが参ってしまう。よほど、拘束されるという事に関する抵抗感が強いと見た。
初めて、レンタカーに乗って運転した東京の街。
札幌の都心なみの恐ろしさというほどではなかった。そもそもほとんど高速道路の運転だったわけだから、ごみごみした都心での殺人的な交通量に悩まされることもなかった。
それでもあの首都高のわけのわからなさ。あればかりはナビが無きゃどうしようもねえと思い知らされた。あの道をそらで走り通すまでに、俺はどれくらいの時間がかかるのだろう。それができるようになった頃は、俺がなんの不自由もなく生活し始める頃だと思う。その日が来るのか来ないのかは、全く想像がつかない。
アクアラインをぶっ飛ばした。どれくらい海なんだろう、と思っていたが、意外とトンネルが長く、ああ、まだ海見えねえなぁなんて言いながら100キロ以上で飛ばしていた。みんなよくスピード出すな、とか思っていたが、北海道民には言われたくねえと確かに思う。トンネルを抜け、海が見えた瞬間に飛んだ疲れがもたらしたものは、とても清々しい気分だった。はるか南の島の海中道路のことも、1ミリくらい思い出してみた。
完全に雨から逃げ切り、降りたこともない木更津のインターでスピードを落とした。
着いた田舎は、小さなリゾートだ。普段鬱屈としながら働いている若者たちがはしゃぎ倒していた。良いなぁ、来てよかった、と心から感じ取る。朝から菓子パン1個で済ませていた俺の眼の前に広がる光景は、バーベキューの準備なんか知ったことかと水鉄砲合戦をし始めた奴らの微笑みだった。
可愛らしい奴らだ、と呟いた俺は迷わず室内で肉を焼いて食った。こっそりではなく、室内にいた連中も巻き込んで。
大人の余裕、なんていうものでもなく、好き勝手やっている、と思われてみても、ああするしかなかった。疲れ切っていた。心がだ。はしゃぐことよりも、飯を食うことよりも、煙にまみれて落ち着きたかった。
若い連中と俺の発散方法は、ひたすら違っていたと今になってわかる。ゆっくりできる、という安堵。落ち着いてしまった、という喪失感に苛まれて、気持ちはしっかりと落ちていった。何しろ、運転のために酒が飲めなかったという事実もある。ここ最近はコミュニケーションのために酒を飲む、ビールを嗜む、つもりだったのにもかかわらず、ブッ飛んだ頭を迎え入れるために飲んでしまうことが多い。
辛さがあった。飲まないでむしろ助かる、という思いに苛まれるのが本当に、辛い。俺の価値観は結局の所、「酒なんか飲まなくても生きていける」なのにもかかわらず、最近では酒をしっかりと飲む機会が多い。
やめられないことが多いのに、これ以上やめられないことが増えては困るのだ。そう思う気持ちは、今でも変わらない。
そんなことを考えているうちに、iPhoneの通知は残酷なまでに俺の感性と記憶を叩き起こした。
俺は、田舎のリゾートが喧騒に変わっていくのを眺めながらも、自分の気持ちを忘れることができなかった。ツイッターを開けば皆、故人を偲ぶ想いを認め続けていた。俺の気持ちは明後日の方を向きつつ、疲れも感じつつ、どんどんと冷静さと動揺が入り混じった感情をかき混ぜながら、その時間がすぎるのを待っていた。
最後の夏だ、といって燃やした火薬の放つ光と、光る遠くの空が俺の想い出を形成していく。夜道のドライブは、気持ちよさもあった。早く帰りたいという気持ちも混じった。そうであっても、俺たちはさらにそれの疲れを癒そうと、酒を飲もうと言う話になり、集まるべき場所に向かっていた。当然、俺の手にはビヤ缶が6本もあった。買う必要もなかったのに、6本も買っていた。
家に帰ってきたのは午前3時前だ。
眠さと疲れが俺をベッドに傾けていたことを今でもしっかりと覚えている。
頭だけは洗わなきゃ。そう思って、バスタブに半身を乗り出し、シャンプーを手にとって頭を引っ掻き回した。顔を洗っている最中に酔いが冷めた。俺は、8,9時間前にふと感じ取ったエモーションを温め直そうとしてYouTubeを開いた。
歯ブラシをくわえたまま立ち尽くした。どんどん、自分の身体が重くなることを無視できなかった。
想い入れがあるものを聴いて、物事を調べているうちにぶちあたる作曲:小山田圭吾の事実と、自分が受けてきた影響を照らし合わせていった。
現実と、突きつける事実が俺を嬉しく震わせると同時に、なぜ今まで気づかなかったのかと、自分にがっかりしていった。
極めつけはこれだった。
俺は、また一つ、自分の想い出と、突きつけられる現実に後悔の念を抱きしめて眠ろうとした。
どう聴いても聴き慣れたナイアガラサウンドは、抱きしめても潰れていくようなことはなかったのである。
うちの親の刷り込みは成功だったのだと。なおさら強く思い知らされたのであった。
喪失感、郷愁、サイケデリズムに抱かれて、涙が枯れるほど目を泣き腫らし、俺は翌朝、悪夢を見た。
覚めることのない感情が、一つ生まれた夜だった。